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Vol.5 「サティと6人組」 発売

Ombres et Lumières

矢崎彦太郎

すべてはワグナーの巨大な影から始まった。バイロイトの巨匠がヴァーンフリートと 名付けられた館の庭に葬られて17年の歳月が過ぎ、時代は新しい世紀を迎えようとしていたが、依然として、ワグネリズムの嵐はヨーロッパ中に吹き荒れ、楽壇を席巻していた。病的興奮を呼び起こすワグナーの影響に対して、追従するか、反発するかは選べても、無視する事は誰にも出来なかったのである。サティやドビュッシーの様に、一個人の中に追従と反発が共存したり、崇拝が批判に代わっていく例もあった。彼等は、《パルジファル》から神秘主義的な影響を受けると同時に、ワグナーの半音階的和声法には反発して、中世の教会旋法や平行和音による反機能的和声法を生み出した。

戦勝国プロイセンにドイツ統一の完成をもたらした1870〜71年の普仏戦争は、敗れたフランスにとっては、農産物や鉱産物が豊富なアルザス・ロレーヌ地方の割譲という結果となり、アンチ・ゲルマンの気運が高まっていく。この対立に加えて、海外植民地をめぐる英独の対立、バルカン半島をめぐるロシアとオーストリアの対立が重なり、1914年から4年4ヶ月にわたる史上初の世界戦争が勃発した。フランスで俗にquatorze・dix-huit(14・18)といわれる第一次世界大戦である。飛行機、潜水艦、毒ガスが登場して、敵も味方も予想すらしていなかった未曾有の大戦争は、当然、芸術の世界にも多くの影響を及ぼした。

大戦直前の1913年に《春の祭典》をシャンゼリゼ劇場で初演して、歴史的スキャンダルを起こしたストラヴィンスキーは、1918年11月11日午前11時に調印された休戦協定を祝って、同日朝に《11楽器のためのラグタイム》を書き上げたと言われている。終戦に伴う「祭りの日の朝」の様な楽天的気分は、戦争前の印象主義、原始主義、神秘主義、表現主義を消滅させ、率直な作風、小編成の合奏による明快な協和音と節度のある形式美に衆人の目を向けさせた。この1918年に、ドビュッシーが56才の生涯を閉じ、新古典主義への出発点となった《兵士の物語》がスイスのローザンヌで初演されたという事実は、新しい時代の到来を象徴している。現在から見れば束の間のヴァカンスに過ぎなかった「祝祭と狂喜の日々」は、苦境を生き延びた当時の人々にとっては未来永劫続くものと感じられ、後に6人組と命名された若い作曲家達も翌年7月14日の勝利のパレードに参加した。

サティ(1866〜1925)

パリから185Km、ノルマンディ地方、カルヴァドス県にあるセーヌ河口の小都市、オンフルールで、海運業者の父とスコットランド系の母の間に生まれたサティは、伝統的な音楽教育に反発して、パリ音楽院を中退、モンマルトルのキャバレーでピアノを弾いていた。反ワグネリズムの態度を最も早く鮮明に打ち出して、ドビュッシーやラヴェルに影響を与え、時代の先駆者、預言者となる。奇矯な性格で、凡人の理解を超えた行動が多く、独特な魅力と単調な退屈さ、純粋な輝きと通俗な平凡さが同居した作品に、ニヒルで奇妙な題を付けて発表した。24才頃に神秘主義的秘密結社「バラ十字会」に入会したかと思えば3年後には脱退して、彼自身「救世主イエスの芸術の大本山である教会」を創立する。39才でスコラ・カントルムに入学して、ルーセルに対位法を習い3年後に卒業した。1915年にジャン・コクトーと出会い、1917年にディアギレフのロシア・バレエでコクトーの台本、ピカソの装置、衣装による《パラード》を初演して《春の祭典》 以来の大スキャンダルとなり一躍有名になった。

びっくり箱 (ミヨー編)

《びっくり箱》は1899年ピアノのために作曲され、パントマイムの伴奏に使われるはずであったが、サティは楽譜をバスの中で紛失したと言い張り演奏されなかった。死後発見されて、1926年ミヨーによってオーケストラに編曲され、ロシア・バレエがバランシンの振付で公演した。前奏曲、幕間、終曲の3曲から構成されている。

ジムノペディ 第1番、第2番 (ドビュッシー編)

《ジムノペディ》は1888年、サティが22才の時に作曲されたピアノのための3曲の小品。《ジムノペディ》とは、古代ギリシァのスパルタ地方で行われていたアポロンを祝う 祭りで、全裸の青年達によって踊られる踊りである。1896年にドビュッシーによって第1番と第3番の2曲がオーケストラに編曲されたが、その際、曲順が原曲と逆に置き換えられた。即ち、【レントで厳粛に】と書かれたオーケストラの第1番は ピアノ原曲の第3番、【レントで痛ましく】と書かれたオーケストラの第2番は原曲の第1番である。

3つの小さなピエスモンテ

ピエスモンテは、結婚式のパーティー等に飾られるデコレーション菓子の名前で、日本のシュークリームの外側(シュー)を小さくした様なものを円錐状に高く積み上げカラメルで固めてある。逐語訳すれば「組み立てられた部品」という意味でシャレ(jeu de mots)になっている。1919年にピアノ連弾用とオーケストラ用の2つの版が作曲され、次のタイトルが付けられている。

  1. パンタグリュエルの幼年時代(夢想)
  2. 楽園のマーチ(歩き方)
  3. ガルガンチュアの遊び(ポルカのかけら)

パンタグリュエルとガルガンチュアは、共にラブレーの連作「ガルガンチュアとパンタグリュエルの物語」(1532〜34)の主人公で大食漢の巨人。

プーランク(1899〜1963)

オルガン、弦楽とティンパニーのための協奏曲 ト短調
第一次大戦が終わった時の幸福感は遙か遠くに過ぎ去り、又新たな戦争の危機が高まった1938年に作曲され、《2台ピアノのための協奏曲》と同様にポリニャック公爵夫人に捧げられた。オルガン、弦楽オーケストラ、ティンパニーの能力を最大に引き出した巧みなオーケストレーションと深い精神性は、オルガン協奏曲の傑作中の傑作と言われている。全曲は3つの楽章から成るが、切れ目なく通して演奏される。高貴で重厚な序奏を持った第1楽章、オルガン独奏で始まる三部形式の第2楽章、生き生きとして熱気を帯びたアレグロと終わりに再び冒頭の力強い主題が現れる第3楽章から成っている。

6人組メンバーによる合作

エッフェル塔の花嫁花婿

コンセルヴァトワールで学生時代からの親しい友人達が、サティとコクトーによる 《パラード》初演(1917)に刺激されてグループの作品発表会を展開した時と同じくして、コクトーは1918年に「雄鶏とアルルカン」という評論集を出し、フランス的なものへの回帰を提唱した。ミヨーのアパルトマンに土曜日に集って夕食会を開いていた仲間達は、1920年1月16日付の芸能批評紙「コメディア」に載った音楽評論家アンリ・コレの記事を見て仰天した。自分達が「6人組」と呼ばれ、ロシア5人組と対比させられていたからだ。彼らは厳格な美学的スローガンを掲げた訳でもなかったし、作風も同じではなかった。共通項としては、反ロマン主義、反ワグネリズムで、クープラン、ラモーに源を発するフランス古典精神の回復はサティを模範とし、半音階主義でなく、調性を確保した全音階的和声法を使用するという点であった。

6人組のメンバーは、パリ生まれのルイ・デュレ(1888〜1979)、女性作曲家でコクトーに「耳のマリー・ローランサン」と呼ばれたジェルメンヌ・タイユフェール(1892〜1983)、エクス・ァン・プロヴァンスの古いユダヤ家系出身のダリウス・ミヨー(1892〜1974)、ル・アーヴル生まれながら両親はスイスのチューリヒ出身であったアルテュール・オネゲル(1892〜1955)、生粋のパリジャンのフランシス・プーランク(1899〜1963)、モンペリエ近くのロデヴに生まれたジョルジュ・オーリック(1899〜1983)である。

1921年6月18日、ロシア・バレエのライヴァルであったスウェーデン・バレエ公演で《エッフェル塔の花嫁花婿》は初演された。デュレを除く5人が手分けして作曲に当たった。コクトーの語りのテキストは、舞台両脇の蓄音機の中に隠れた2人の俳優が、単調で機械的に語る様に指定されていて、この語りと音楽に合わせて、パントマイム風のバレエが繰り広げられた。シュールレアリズム的な不条理劇の要約と各作品のタイトルは次の通りである。

オーリックの【序曲】が流れ、7月14日の革命記念日(パリ祭)にエッフェル塔で結婚式が開かれる。ミヨーの【結婚行進曲】に続くプーランクの曲は招待された【将軍の演説】を表す。写真師が記念写真を撮ろうとすると、調子が狂った写真機から、ノルマンディ地方の海水浴場である【トゥルーヴィルの水着美人】が飛び出してプーランクの曲で踊る。再び写真を撮ろうとすると、今度は新婚夫婦の将来の子供が飛び出し、マカロン菓子を手に入れるために結婚披露宴に集まった人達をミヨーの【殺戮のフーガ】で虐殺しようとする。ニューヨークからの電報がエッフェル塔で受信され、タイユフェールの【電報のワルツ】となる。もう一度写真を撮ろうとすると、ライオンが飛び出し将軍を食べてしまう。オネゲルの【葬送行進曲】が始まるが、低音部にはグノー作曲オペラ《ファウスト》の ワルツが使われているので、コミカルな葬送になっている。共和国軍隊が登場し、タイユフェールの【カドリール】を演奏する。オーリックの【リトルネロ】に続いて写真機がやっと直って将軍も無事に戻り、ミヨーの【結婚式退場の行進曲】で幕となる。

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