Vol.7 「メルヘンの世界」 年 刊発売
2008年3月20日 Ombres et Lumières
矢崎彦太郎
皆様、今回の「フランス音楽の彩と翳」は「メルヘンの世界」をテーマに取り上げました。メルヘン、童話、お伽噺といった大人が子供に聞かせるお話は、世界中どこにでもあります。それは、基本的には文字通り、読むお話ではなく、聞くお話で、口承民話や昔話に近いものです。作曲家が使う言葉は音ですから、彼らが周りに居る子供達に、音楽で語りかけようとするのは、自然の成り行きでしょう。音楽自体が一つのお話に作られている曲もあれば、あるお話にそって膨らんだイメージを音にして、ストーリーをより鮮明に描き出した作品もありますが、いずれの場合でも、作曲家の心情が、すっかり子供になりきっています。
お伽噺を寓意的に解釈したり、精神分析的に意味付けを試みる事は可能ですし、そこに教訓が含まれている事もあります。無邪気なお話に思えた童話が、実は、かなり残虐な物語りだったり、エロティックなきわどい話であったと発見するのは、面白い研究かも知れません。
しかし、今夜は、その様な理屈は抜きにして、子供との対話を楽しんでいる4人の作曲家と一緒に、童心に返って戴きたいと思います。こんな解説をお読みになるのは後回しにして、さあ、お伽噺のはじまり、はじまり。
ビゼー(1838〜1875)
小組曲(「子供の遊び」から)
声楽教師の父と、ピアニストの母の間に、パリで生まれたビゼーは、早熟の天才と言われ、10才でパリ音楽院に入学し、19才でローマ大賞を受賞しました。1871年にピアノ4手用(連弾)の12曲から成る組曲として作曲された《子供の遊び》は、ビゼー自身が、その内5曲をオーケストラのために編曲して、1873年3月2日に、コンセール・コロンヌ管弦楽団によって初演されました。《アルルの女》が発表されて好評を博し、《カルメン》が着手された頃です。編曲に際し、全体は《小組曲》と呼ばれ、各曲に新しいタイトルを付けて、原曲の題をカッコの中に残しました。
- 行進曲(ラッパと太鼓)
- 子守歌(お人形)
- 即興曲(こま)
- 二重奏(小さな旦那さま、小さな奥さま)
- ガロップ(舞踊会)
(写真7-1,2,3)22.rue de Douai(パリ9区)にある、が「子供の遊び」を作曲したアパルトマン
フォーレ(1845〜1924)
組曲「ドリー」(ラボー編)
ドリーとは、この曲を献呈された、当時3才のエレーヌ・バルダックの愛称で、彼女は、後にドビュッシーの再婚相手となったエンマ・バルダックの娘です。1893年から1896年にかけて、ピアノ4手用の組曲として作曲されました。オーケストラに編曲したアンリ・ラボー(1873〜1949)は、パリ生まれの作曲家、指揮者です。組曲は、次の6曲から構成されています。
- 子守歌
- ミ・ア・ウー
- ドリーの庭
- キティ・ヴァルス
- タンドレス(優しさ)
- スペイン舞曲
II のミ・ア・ウーは猫の鳴き声の様ですが、ドリーの弟、ラウル・バルダックをムッシュー・ラウル(Monsieur Roul)と呼ぶかわりに、ドリーが幼児言葉で、メッシュー・アウル(Messieu Aoul)と発音した事に由来しています。Ⅳのキティ・ヴァルスも、子猫の意味のキティではなく、ラウルが飼っていた雌犬の名前であるケティー(Ketty)が訛ったものだと言われています。
ドビュッシー(1862〜1918)
子供の領分(カプレ編)
1906年から1908年にかけて作曲されたピアノ曲集《子供の領分》は、再婚したエンマとの間に生まれた、クロード・エンマ(愛称シュゥシュゥ)という女の子に献げられました。つまり、ドリーとシュゥシュゥは、父親違いの姉妹なのです。ドビュッシーの弟子でもあったアンドレ・カプレ(1878〜1925)が、この曲を1910年に管弦楽のために編曲して、ニューヨークでオーケストラ版の初演を行ない、2年後にはドビュッシー自身も、パリのコンセール・ラムルー管弦楽団を指揮して演奏しています。ドビュッシーは、初めて父親になった喜びと、あどけない子供らしさを表わそうとした為か、題名、各曲のタイトルを、すべて英語で表記しました。
- グラドス・アド・パルナッスム博士
- 象の子守歌
- 人形へのセレナード
- 雪は踊っている
- 小さな羊飼い
- ゴリウォグのケーク・ウォーク
グラドス・アド・パルナッスムは、イタリアのピアニストであるムツィオ・クレメンティ(1752〜1832)が作曲した単調な練習曲の名前で、ドビュッシーは皮肉を交えて、博士号を付けました。ゴリウォグは丸い目を持った黒人の人形で、ケーク・ウォークという奇妙な身振りの踊りを踊っています。
ラヴェル(1875〜1937)
マ・メール・ロワ
親友であるゴデヴスキー夫妻の2人の子供、ミミーとジャンのために、ラヴェルはピアノ連弾用の小曲集《マ・メール・ロワ》を1908年に作曲しました。彼には、ルイ王朝や17、18世紀への懐古趣味がありましたが、その時代の有名な詩人のシャルル・ペロー(1628〜1703)による「おやゆび小僧」、カトリーヌ・ ドルノワ(1650頃〜1705)の「緑の蛇」、ルプランス・ドゥ・ボーモン(1711〜1780)の「美女と野獣」を下敷きに作曲されました。全体の枠になっている物語りはペローの「眠れる森の美女」で、タイトルの 《マ・メール・ロワ》(がちょうおばさん)も「ペロー童話集」の副題から取られたものです。
1912年にラヴェルはこの曲をバレエ用にオーケストレーションし、導入やつなぎの音楽を追加したり、曲順を変更して、切れ目のない曲に仕上げました。その折、デュラン版のスコアに書き入れられたバレエの卜書きを基に作られたのが、今夜語られる朗読の台本です。